韓国人「西洋人や日本人と韓国人の議論態度の違い」=韓国の反応
・韓国人
もし自分の通念と完全に相反する主張を誰かがするなら?
西洋人や日本人は、このような質問を最初にする。
「根拠は何ですか?出所はどこですか?」
韓国人は、このような質問をする。
「誰がそんな主張をしましたか?主張する人の学歴と社会的地位はどうですか?」
↑
・日本人
-
日本人は「何をどうすべきか」を悩む
そして、それに押し潰される善人も多い
韓国人は「誰をどうすべきか」を言い合う
そして、無闇に他人を称賛したり、罵倒したりする
日本人の考え方が世界の標準かと言えば、それは違うと思う
たとえば、日本語は日本人の考え方に従い、「何を」「どうすれば」が重要なので、主語が省略されることが普通に存在する
しかし、英語はどうか?
特にアメリカの場合、「自分はどう考えるか」を言い合う
個人的な意見の正当性を主張し合うために、主語は大切になる
文化は国や民族によって違う
それらは対等な価値をもちそうだが、基準を設けることで優劣が出てくる
たとえば、「生産性」とか「独創性」とか
社会全体における生産性や独創性ならば日本人の考え方が強そうだ
しかし、グループ単位の生産性や独創性ならば、アメリカ人の考え方が強そうだ
韓国人の考え方はアメリカの下位互換に近い
中国の覇権主義や朱子学の影響だと思われ、歴史的に自由主義が成熟していないのだと思う・日本人
それを簡単に言うと合理(理性)主義と権威主義の対立。西欧もコペルニクスの宗教裁判でも有名なように権威主義だったのを多様な価値観を解放した自由主義によって合理主義になった。
・日本人
みんな嘘ばかり言うし、根拠を示しても理解しようとしない(できない?)から
結局学歴や権威に頼るしかないんだね。・日本人
「権威主義」が日本に無いのか?
といえば、0ではないが、韓国の場合は
極端に顕著だ。
「学歴」「年収」「社会的地位」
が人の物差しにしている例があまりに多過ぎる。
笑ったのは、「ある個人病院では出身大学名を看板に記載している」など
「ソウル大学出身なら、無名大学出身より病気の治りが早いのかい?」と揶揄したくなる。↑
・韓国人
相手の権威は、その言葉の真偽を判断する前に持つ先入観です。それ自体で善悪間違いを決定することはできません。
「権威がある人が言ったことで、おそらく信頼できるものである」程度は世界共通であるが、「権威のある人が言ったことなので正しい」が韓国人の考え方です。・日本人
そもそも韓国人は質問すらしないよね?
「私は知らない」
「日本人の主張は信じない」
「根拠を聞くまでもなく私の主張が世界の常識だ」
いつもこんな感じ。・韓国人
日本人と業務の間にいくつかの問題が発生した場合の解決策を見つけるために、犯人捜しは引き延ばし一旦協議する。
一方、韓国人と問題が発生した場合、一度犯人と推定される人物を探して魔女狩りしてから。解決はきちんとしていない場合が多い。
・日本人
まあ、これも儒教思想の一部なんだろうな。
「偉い人」を探しているんだよね。
偉い人が言う事が正しいnida。
学歴の高い人が正しいnida。
社会的地位が高い人が正しいnida。
自分で考える事ができない。偉い人に丸ごと依存する。
議論以前の問題だわ。・韓国人
私は一度重要な議論をすると、証拠資料を
1級=元資料,2級=海外メディア資料,3級=日本メディア資料,4級国内メディア資料,5級その他の情報源のデータ
こうして区分して準備して、なぜ?証拠は?理由は?そう質問することを好む。
説得のようなものは最初から考えていない。
人の考えと定義は他のすべてのものだからである。・日本人
議論て基本的には対話の中で新しい考えや知見に触れる為に行ってる行為で、議論の中で自分の持っていた意見が変わる事も珍しくない。
韓国人は自分の意見が正しくて相手が間違ってるという前提で議論を開始する。最初から結論が決まっていて、相手の話を聞かないんだよ。対話が出来ないので実際には議論が出来てない。
韓国人が学術的な賞を取れないのは、韓国人が勝ち負けにこだわりすぎて真実の探究を出来ないから。勝ち負けだけだと議論は上手に出来ないし、他人に評価されないと勉強を行わなくなってしまう。↑
・韓国人
韓国人たちは、歴史的事実を、自分が信じたいように信じられると考えています。
たとえば、韓国が日本に勝利したと主張しているの場合、日本の記録では、日本軍の死傷者が11人に対し、韓国側の記録では、死傷者が1000人を超えます。
ところが韓国人は韓国は日本側死傷者が1000人と信じており、日本側は11人と信じると思います。各自の考えは違うので両方の事実が共存することができると考えているのが韓国人の考えです。
「人の考えと定義はすべて異なっている」というのは、そのような場合に適用されます。韓国人に歴史と信じたいことを信じる行為であるだけで、客観的な事実を探求する学問ではありません青山里戦闘(せいざんり(チョンサンリ)せんとう)は、間島出兵中の1920年10月21日から26日にかけ、満州の間島和竜県(現・中華人民共和国吉林省延辺朝鮮族自治州和竜市)の青山里付近で、日本軍と朝鮮人の独立運動武装組織及び中国人の馬賊との間で行われた戦闘。
↑
・韓国人
それは人の考えと定義が異なるので、他の人の意見が私の考えで間違ったと思っても、ある程度尊重と寛容が必要だと言うのだ。
それ公論の自由だと思う。
そして議論の最も重要なのは事実かどうかの確認が一番重要だと考えている。・日本人
ノーベル賞に拘る理由もそこだろう。
心理的な序列は日本人より上だが現実では日本の方が上(あくまで韓国人の価値観)。
日本に対抗できる権威がほしいだけで制度の中身の改革をしようとしない。
結局は精神勝利で落ち着く。
日本人は権威だろうが何だろうが明らかな論理破綻には落ち着いて反論する。
韓国人は表面的な肩書きに捕らわれすぎて本質が見えないから議論も中身では無く、相手の肩書きで決まるのでしょう。・日本人
韓国の議論は年功序列とかどのような肩書き、職種、権威等で決まるから間違っていたとしても反論する人がいなくなる。
日本に関しては更に束縛されて議論が反日寄りの結論になる。
疑問があって反論するとどんな権威でも社会的抹殺に繋がるから怖くて誰も言えない状態。↑
・韓国人
韓国社会を批判することは無条件に社会的に成功した人でなければならない。ほとんどの韓国人は、成功していない人の批判は、その内容にかかわらず、聞こうとせず、作成者を人身攻撃することで回答するからである。・日本人
韓国式の議論の例
俺は医者(弁護士)だ。お前は医者(弁護士)じゃない。だから俺が正しい。
俺はソウル大卒、親もエリート。お前は三流大学、親も三流大学。どちらが正しいか分かるでしょう?
俺は韓国人だがお前は日本人だ。それなら韓国人である自分が正しい。
なぜなら韓国人が日本人より上(あくまで韓国人の価値観)だから。
こんな感じかな?↑
・韓国人
正確にその通りです。
↑
・日本人
日本では考えられない。
冗談か?と言いたくなる。
俺みたいな人が討論したら負けが確定だ(笑)↑
・韓国人
最近では、わずかに変形された方法もあります。
「はいこの議論では、あなたが勝った。君が正しい。しかし、私はお金が多く、学歴があなたより優れている。あなたはわずかにこの議論で勝ったが、人生では敗北者だ。」・日本人
不思議なのがその権威のある人が日本を少しでも擁護すると、それが真実かどうか関係なく無条件に、たちまちその権威から引きずり落としてしまう